想い出の書き換え 

【想い出の書き換え】

おはようございます。
コドモゴコロクラブお茶目隊長の二上です。

昨日は、大学時代2年間お世話になった茜寮が老朽化で建て替えるとのことで、
閉寮式に参加させていただきました。

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↑閉寮式はチャペルで。

1960年に竣工した、(当時は)モダンな寮も、
私が入寮したときは個室に冷房もないというびっくりな造りで、
オーストラリアから帰国したての私にとってはなんとも
カルチャーギャップの多い、
2年間の寮生活でした。

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↑校内なのに、森の中にあります。
当時はも出たし、アオダイショウもいたそうです。

そんな寮の中を見学させていただきました。

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↑屋上。
ここからよく、桜を眺めていました(ただしカラスに注意)。

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↑屋上へと続く階段。

 

…正直に言うと私、寮生活は嫌いでした。

集団生活なので当たり前なのですが、
当時の私には規則だらけなのが窮屈だったし、
二人部屋というのも気を遣ったし、
帰国子女ということを自分が何より意識していたんだと思うのですが、
とにかく「人と同じはいやだ」と、結構とんがっていたように思います。
(利己主義全開でなんとお恥ずかしい…)

だから、そこまで深いつながりの友人はいませんでした。
今でもよく会ってくれるのは、一人くらい。

そんなわけで、今回の閉寮式も、寮監先生から
直々にお電話をいただいていなければ、
そして仲の良い友人が一緒に行ってくれなければ、
きっと行っていなかったと思います。

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でも、結果的に行ってよかった^^

閉寮式には、私の初めての寮、久々の日本で
一番初めに相部屋になってくださった先輩、梓さんがいらしていました。

寮は嫌いと言いながら、相部屋の先輩にはいつも恵まれた私。
半年ごとに部屋の引っ越しがあったので、
合計4名の方とご一緒になりましたが、どの先輩も大好きでした。

梓さんは、今は専業主婦をされているそうで、
来月、愛知県にお引越しされるとのことでした。

周りのご友人がどんどん仕事復帰しているのを見て、
自分は専業主婦でいいのかな…と悩むこともあったそうです。

最近の私は、会社員の独立・起業のプロデュースをしていること、
そして人にはそれぞれ役割があり、どんな立場も意味があることを
学んでいるというお話をしました。

女性のライフスタイルは多様化しているからこそ、
ばりばり働く人、子育てしながら働く人、専業主婦の人、様々です。

この仕事をしていると、独立するのが当たり前みたいになってしまい、
自分も独立を目指していたけれど、結局私にその器はなくて、
今は周りの人の夢を応援する補佐役が適任であると理解し、
誇りをもって仕事している。

だから専業主婦も立派な役割だと今は思えるんですと言ったら、
「その言葉は今の自分に必要だった」とおっしゃっていました。

お世話になった恩を少しでも返せたかなぁ。

当時私たちの間ではやっていた「すごいよ!マサルさん」
というマンガの想い出話を語ってくださり、
私との相部屋生活は楽しかったよ、と笑顔で話してくださりました。

 

その瞬間、寮であった楽しいことが、ふたを開けように
次々と思い出されて、私の「嫌な寮の想い出」が、
一瞬にして「良い寮の想い出」に変わりました

熱中症になったとき、
涼しい部屋に滞在させてもらったなぁ。
その時、寮の友達と夜遅くまでそこでお菓子食べたなぁ。

とか。

同室の先輩と夜中にマンガの話で盛り上がって
寝不足になったなぁ。

とか。

ホームカミングパーティの出し物のために、
ダイソーでワイングラス買い集めてグラスハープの演奏したなぁ。

とか。

楽しい想い出はいっぱいありました。

私は、寮のことは自分で嫌な想い出に塗り替えていたんです。
寮=嫌 だったから、楽しい想い出はあったのに封印してしまっていました。

 

梓さんの一言で、その暗示が解けました。
恩を返せたどころか、またもや助けていただきました^^

よく、「過去は変えられない」と言いますが、そんなことはないんですね。
自分の捉え方次第で、想い出は書き換えられるということを、
身をもって実感しました。

それを思い出させてくれた梓さんをはじめとする先輩のみなさん、
想い出に登場してくれ、そして変わらず接してくれた同級生や後輩のみなさん、
わざわざ電話をくださった寮監先生、
そして、途中いろいろあっても、昔と変わらず仲良くしてくれるなづなん。

みんなに感謝です。

sora

それでは、今日も楽しいこと・おもしろいことをたくさん見つけられますように!

今日は待ちに待った渋谷区民太極拳大会です~。