なぜか会長杯!【なぜか会長杯!】

おはようございます。
コドモゴコロクラブお茶目隊長の二上です。

昨日は第28回 日中太極拳交流協会 全国交流大会でした。

私にとって、大会出場は3回目。
そして2種目出場は初めての大会となりました。
今回は代々木第一体育館だったので、
今までよりかなり広いです。

こんな人数も入っちゃう↓

youmeiji

こちらは楊名時(ようめいじ)太極拳
私の、例の米寿の祖母がやっている太極拳です。

友情表演ということで、日本健康太極拳協会の方々449名での表演!
圧巻でした(もちろん祖母は出場していませんよー)。

私たちはまず、伝統楊式太極拳で出場↓

youshiki

金曜日に届いたばかりのグレーの上着を羽織って^^
10月の国体の時より、伸び伸びとできた気がします。
でも、まだまだ周りをよく見て常に合わせるということが
できていないなーと感じました。
自分のことでいっぱいいっぱい…。

その後はすぐに着替えて、ちょっと練習↓

renshuu

通路で練習したため、危ないので剣は持たずに練習しました。
そして、32式太極剣の本番!

32ken

真ん中の方に配置していただいていますが、
一人だけ体と顔の向きがちがう…。
次回の練習の時に改善する点が増えました。

その後すぐ帰る予定だったのですが、
なんか中規模集体の剣で1位ぽいという話を聞き、
表彰式になるべく多くの人がいた方が良いというので、
打ち上げにも行くしと、残ることに。

trophy

32式太極剣で、大会会長杯というものをいただきました。
実質、優勝だとか??すごい!

正直、優勝したけど「なぜ?」という感覚の方が大きかったです。
いまだに実感わかず、「あら、優勝なの?ふーん」の方が大きいかも。
優勝できたのはひとえに
先輩方の努力と先生のこれまでの積み重ねのはず
です。

それに便乗して自分がはしゃいで喜ぶのは、
なんだかおこがましい気がするのです。

優勝して嬉しいけど手放しで喜ばしいという感じでは
なかったのは私だけではなかったようで、
打ち上げの時はみなさん一人ひとり、反省点を話していました

これで優勝なら、もっとできることがある
もっとやるべきことがある、と。

今年2月の渋谷区大会の時もそうでしたが、
このチームでは打ち上げの時は、
必ず自分の意見を話すよう、求められます

先生は、今大会の閉会式の際の、日本人の会長の話し方と、
中国からいらした来賓の先生の話し方と全然ちがったことを

引き合いに出されました。

中国では弁証法というものが徹底的に教育される。
だから、意見を述べるときは
意見 ⇒ 理由 ⇒ 証拠
しかも理由も3つくらい述べるそうです。

欧米と一緒かも。

日本ではそういう教育がないから、
人前で意見を言うことに対して自信のない人が多い。

我々は体だけを鍛えているのではない。
頭も、そしてもっとも見えない心を鍛えている
だからこういう場でもきちんと意見を言えるように、鍛えよう」

と先生がおっしゃっていました。

その点、私は帰国子女で外国の教育を受けているから、
はっきりと論理的に意見を言うし物怖じしない。
「というわけで、はい二上さん!」
と、ハードルを上げての反省会がスタートしました…。

若輩者ながらこういう場に混ぜていただき、
自分の意見を言う機会を与えていただけるのはありがたいことです。

まだまだ全体像や流れがよく見えていないので、
現状はめちゃくちゃな意見を言うことはありませんが、
もう少し見えてきて、改善できそうな箇所があれば、
積極的に提案していきたいなと思います。

それはもちろん、今後それらに携わるであろう
自分のためもありますが、
もっと叶えたいことは、
組織全体の仕事が簡単になってやりやすいようにするために、
一人だけに負担が集中しないようにするために…です。

ここは過去の職場の経験をいかし、
自分の意見ばかりを押し通さないようにします^^

そのために、これからも先輩たちの動きを見て学んでいきます。
こんな風に受け入れていただけて、
これからも一緒に学んでいきたい!と思える方々に
囲まれて、本当にありがたいと思います。

最後に先生がおっしゃっていた印象的な言葉を書き記します。

「仏教には輪廻転生という概念がある。
魂を鍛えて鍛えて、次に生まれ変わる時は
前世の最終地点からスタートできるように努力する。

それは武術も同じ。
人間の短い一生の中で、武術は極められない。

この世は川の流れのようなもので、
私たちは一人乗りのボートに乗って、
川の上流というゴールを目指している。

たとえ他人のボートと比べて
自分の櫂が小さかったとしても、
穴が開いていたとしても、
漕ぎ続けるしかない。

漕ぐのをやめた途端に、
川下へ流されていってしまう。

それが迷い。
迷った途端に流される。
流された先にあるのは、滝かもしれない。
そうすれば落ちておしまい。

それがわかれば迷っている時間などない。
ただ、漕ぎ続けるだけ。

それが人生で、それが修行なんだから」

hata